積むよりも速く読め!

学術書になじみがない人にも読みやすく、学問の面白さが伝わるような書籍を紹介していきたいです。

基礎研究の現場を垣間見る。 『「役に立たない」研究の未来』(初田哲男ほか, 2021, 柏書房)

ただ、歴史を見るに、それでも人びとは、「役に立つかどうか」という話をすることをやめられなかった。やめられないのはなぜかというと、それがおそらく「政治的」な言葉、「未来」に関する言葉だからだと私は考えています。「有用性」とはすなわち、未来において「私の○○を認めてほしい」という話をするために持ち出すもの、あるいは「みんなにとって○○は良いことなんだ」と主張するために持ち出されるもの。そういった側面が、この言葉にはどうしてもあるのです。(p. 83)

 近年の日本の科学政策批判においては「選択と集中」という言葉が必ずと言っていいほど出てくる。本書もつまるところ「選択と集中」を科学の現場感覚から批判しているものである。最初に断っておくが、私は本書の全体的な論調についてあまり肯定的ではない。というのも、全体的に「基礎研究は重要だから重要」というトートロジー的な主張以上の主張をしているように感じられなかったからである。ただし、科学史の専門家の隠岐さやかさんのパートや発言は一歩引いた視点から、なぜ「選択と集中」が進んでしまうのか、なぜ基礎科学の重要性についての議論が一般に受け入れられにくいのか、といったような科学者と非科学者との間のすれ違いのところまで踏み込んでいてとてもよかったと思う。

 初田さんと大隈さんのパートは科学者が考える科学の在り方や重要性について、基礎研究の現場の声がわかりやすく書かれている。科学の現場ではどのように研究が進むのか、なぜ「選択と集中」が基礎研究にとって悪手なのか、といった基本的な事項について理解するには非常にためになる。ただ、ここの議論で気になる点がいくつかある。

 まずひとつは、基礎研究の重要性を説こうとするするあまり、応用研究を軽んじているような表現が見られることである。科学者が自身の純粋なモチベーションから研究を進められるようにすることが重要であることには同意するが、そのモチベーションが純粋な好奇心であることが社会貢献への思いであることよりも偉いものだというような価値基準には同意できない。

 また、基礎研究の本質さえ理解されれば科学政策がよくなるという点も気になる。仮に基礎研究の在り方が理解されたとしても政策へ反映されるうえで次に問題なのは優先順位の問題であり、他の喫緊の課題については予算を投入すれば成果が出る確率が高い中で当たるかどうか不透明な基礎研究に予算を投じる必要があるかどうかはまた別の議論が必要となるだろう。いま「選択と集中」をしている予算を広く薄い分配に変えよう、というのであればまだなんとかなるかもしれないが。

 加えて、この言い方だと非科学者が科学の本質を理解できてないのが悪い、というニュアンスも出てしまうと思うが、そもそも基礎研究者でない人が基礎研究の本質を理解できていないことを責められるのは酷なのではないか(科学政策に関わる人間が理解していないのは問題かもしれないが...)。大学進学率が5割を超える中で、なぜこれだけ多くの人がそういった状況にあるのかについては科学者や高等教育の側も反省すべき点に思われる。そもそも私だってこういった自然科学の基礎研究の在り方を誰かから教わったかというと微妙なところだ。

 思うに、本書は「選択と集中」や「有用性主導」の議論へのアンチテーゼではあるが、結局は同じ議論の土俵に乗っかってしまっているように思う。本書のタイトル『「役に立たない」研究の未来』と冒頭に引用した隠岐さんの発言部分が持つ緊張関係はそのことを示唆しているように感じる。要するにこの議論もどこかで、「未来において『基礎研究を認めてほしい』という話をするために、あるいは『みんなにとって基礎研究は良いことなんだ』と主張するため」に行われているような気がしてならないのである。

 と、ここまでやや否定的な感想を述べてきたが、問題意識や課題の理解ははっきりしているし、科学者ももっと研究活動や日常の研究生活について発信すべきだ、とか、在野の研究者のネットワークを作っていく、とか、そういった科学と社会の間の溝を埋めていこうという前向きな提案が多く挙げられているのは嬉しい限りである。

 科学者がどんな思いで研究をしているか、そしてどんな境地に立たされているのかについてしっかり知っておきたい人にはシンポジウムの書下ろしということもあり大変読みやすいのでおススメである。