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複雑で不確実な時代に成功するための必須条件『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』エイミー・C・エドモントン/2021/英治出版

発言より沈黙を好む心理的・社会的な力の基本的非対称性、つまり自己表現より自己防衛しようとする性質は、今後も変わらないだろう。だが発言と沈黙では、見返りもまた非対称である。自己防衛したところで空虚な勝利しか手に入らないのに比べ、自己表現すれば、意欲的な目標を実現しうるチームの一員になって野心的な目的に積極的に貢献し、それによって充実感を得られるのだ。これは、負けないようにプレーする勝つためにプレーするかの違いに等しい。負けないようにプレーするのは、意識的にであれ無意識的にであれ、マイナスの側面から身を守ろうとするマインドセットだ。これに対し、勝つためにプレーすると、プラスの側面にフォーカスし、チャンスを探し、必然的にリスクを取ることになる。(p. 230)

 

 「多様性(Diversity)」や「包摂性(Inclusive)」といった言葉が組織として成功するための重要なキーワードとして意識されるようになって久しいが、次に来るのは「心理的安全性(Psychological Safety)」かもしれない。というか、私が気が付いていなかっただけでおそらくもうそうなっているのだろう。本書は多様な人材を包摂した組織が真に機能するための土台として「心理的安全性」の重要性を実証的したものである。これは2015年に発表されたグーグルのチームを対象とした研究「プロジェクト・アリストテレス」によっても実証されて一躍有名になった。言われてみれば当たり前のことのようにも思える一方で、確かにまったく意識されてこなかった、それどころか「心理的安全性」が確保されていないことこそが「社会の厳しさ」のような言葉で当然視されて再生産すらされていたのではないだろうかとも思う。ちなみに、事業会社の話と思われるかもしれないが、ゼミナールや勉強会の運営、教室の雰囲気づくりなど、教育や学習の現場でも役に立つと思う。

 「心理的安全性」とは、端的に言うと〈社内における関係性に関わらず、気が付いたこと、知っていること、考えたことを誰もが率直に話すことができるかどうか〉といったところだ。本書では、従業員が率直に意見を述べることができない雰囲気が社内に蔓延していたおかげで取り返しのつかない事故や手痛い事業の失敗に至ってしまった事例が多く取り上げられている。人間は誰しも無能に見られたくなかったり、場を混乱させたくなかったり、人間関係を壊したくなかったりと、様々な理由で〈何かを言わない〉という選択をする。ミスすると上司に怒られたり同僚に馬鹿にされるといった雰囲気があるような「心理的安全性」が担保されていない職場では特にそれが顕著に表れるようだ。こういった組織では意思決定を行うマネジメント層にとって耳触りの良い情報のみが伝達されていき、重大な事故やプロジェクトの失敗の可能性に関する情報は隠されたりなかったことにされたりしてしまい、最終的にそれが実際に起こるまで明るみには出ない。一方で、リーダーが謙虚に無知を認め、部下の進言に耳を傾け、失敗そのものではなく失敗から学ばないことを責めるような組織では「心理的安全性」が担保される。従業員はミスを素直に報告することで再発防止に努めることができるし、現場の人間の意見が反映されておらず実際には使い物にならないようなトップダウンの施策が実施されることはない。

 本書では組織に「心理的安全性」を根付かせる方法についても様々な書かれているし、この記事を読んでくれている人もそこが知りたいかもしれないが、そこはぜひ本書を読んでほしいので割愛する。この雰囲気を作り出せるのはリーダーやマネジメント層の人だけではない、と書かれていることだけは伝えておこう。

 ところで、「心理的安全性」が重要であることは本書を読めばよくわかるのだが、それはなぜ重要なのかについてはあまり体系的に書かれていなかったように思うので、少しそれについて考えてみたいと思う。まず、「心理的安全性」が担保されている状態といない状態で違うのは、実際に起きた失敗に関する情報である。成功における失敗の重要性はたとえばGoogleXを例に次のように語られる。

以上の通り、失敗はXにとって、してはならないことではない。いや、実際、テラーが二〇一四年、BBCニュースに語ったように、「本当の失敗は、やってみてうまくいかないとわかったのに、なおも続けていくこと」なのだ。本当の失敗とは学ばないこと、あるはメンツがつぶれるほどのリスクを取らないことだという。テラーとXは、失敗を完全に受け容れているため、プロジェクトで成功したことについては全く話をしない。代わりに話すのは、「賢く失敗できない」ことについてである。賢い失敗は、技術だ。適切なときに適切な理由のために失敗できれば、役に立つ。(p. 157)

 もちろん、賢くない単なる失敗はよくないが、それを恐れて賢い失敗までしなくなってしまってはいけない。心理的安全性が重要なのは、成功に必要な失敗を迅速に重ねることができるという点にあるのだろう。

 もうひとつ、まだ起きていない失敗の可能性についての情報もある。本書にも出てくる2003年に起きたNASAスペースシャトル事故では、事前に事故の可能性に気が付いていたにもかかわらず、その懸念を表明することができなかった1人のエンジニアが登場する。ここで思うのは、現場で実際に手を動かしている人が最もそういった異変に気が付く確率が高いのではないか、ということである。普段からそれに触れている人にしかわからない違和感をしっかり掬い取ることができるか。現場とマネジメントを繋げるためのひとつの重要な要因が「心理的安全性」なのだろう。

 要するに、心理的安全性がなぜ重要なのかと言えば、現場の感覚や意見を吸い上げることで組織としての致命的な失敗を避けつつ、賢い失敗を重ねて迅速な試行錯誤を続けることができるから、と言えるだろう。試行錯誤の重要性は誰もが知っている。しかし、それを複数の多様な人間が関わり合うチームやグループといった組織でどうすれば継続できるのかというのは新たな課題であり、その一つの解決策が「心理的安全性」なのである。

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