積むよりも速く読め!

学術書になじみがない人にも読みやすく、学問の面白さが伝わるような書籍を紹介していきたいです。

理論物理学者には日常がこう見えている 『物理学者のすごい思考法』橋本幸士/2021/インターナショナル新書

この「たこ焼きの半径になぜ上限が存在するのか」という問いに、「そりゃ口に一口で入るサイズやからやろ」と答えるのは簡単である。そう答える前に、ちょっと待て、物理的な理由が存在するのではないか。そう考えるのが物理学者の正しい姿であろう。僕は考えを巡らせた。なぜこの世には半径2センチメートル以上のたこ焼きが存在しないのであろうか、と。(p. 73)

 この本を読み終わってから〈なぜ私は理論物理学者にならなかったのだろう〉と思ってしまった。理論物理学を学んでいればこんなに様々な角度から日常のアレコレについて考えることができるツールを持つことができたのに、と悔やんだ。ひとつの学問分野について勉強することで日常生活に色々な場面において今まで考えたこともなかった角度から物事を考えられるようになる、というのは学問書を読むひとつの醍醐味であるが、理論物理学もまた一味違った世界の見方を与えてくれるようだ。

 本書は数ページほどのエピソードがたくさん収録されている形式なので、隙間の時間に読むには最適だ。全部で3章の構成になっており、第1章では、橋本先生が日常生活の中でいかに理論物理学を活用しているか(侵食されているか?)について書かれている。冒頭のたこ焼きの焼き方(続きはぜひ本書を読んでみてほしい)から、スーパーで人にぶつからない歩き方、ギョーザの皮とタネをどちらも余らせることなく作り終える方法まで、色々な日常の場面で我々には思いもよらない形で理論物理学が顔を覗かせる様は大変面白い。第2章では、どのようにしてこのような"理論物理学者"が生まれるのかについて書かれている。ここでも、ひたすらに高くレゴを積み上げたり、とにかく広大な迷路を書き込んだりと、〈そもそも理論物理学関係なくそういう素質の人だったのでは...?〉と思わないでもない話がたくさん出てくる。第3章では、理論物理学者がどのようにモノを考えてしまうかの思考の癖のようなものを垣間見ることができる。

 読み進めていくと、これはわかる!とか、なぜそんなことを...?とか、各エピソードごとに自分の反応にも色々あるのがわかってくる。私がつい激しく頷いてしまったのは「エスカレーター問題の解」(p. 12)、「近眼の恩恵」(p. 98)、「帰化を感じたい欲求」(p. 146)、「ハンカチのありか」(p. 200)、「整理整頓をしてしまう」(p. 204)あたり。この中でも特に共感した(というか私以外にもこういう人がいて安心した)のが「ハンカチのありか」だ。これは、ハンカチを忘れないため、そしてハンカチを入れる動作を省略するためにズボンのポケットにハンカチを入れっぱなしにする(そしてそのまま一緒に選択する)という荒業の話である。

ハンカチをズボンに入れっぱなしにするという「ライフハック(生活術)」は、単に自分が生活する上で、より自分の性質に合った生活を、それほど考えずに実行するための向上案にしか過ぎない。(中略)一つ一つ考えずに生活を安全に送ること。これは、そういった生活の上に成り立つ、様々な新しい経験や創造性の発揮、という人間の喜びの基盤となっている。だから、僕は生活のカスタマイズに勤しむ。(p. 202-3)

理論物理学者は考えるべきことと考えなくてもいいことを分けるのが得意なので、生活においてもそうなのだろう。求める結果に影響を与えない変数は脇に置いておいてよいのだ。

 皆さんも各エピソードに色々なツッコミを入れながらぜひ本書を読んでみてほしい。理論物理学者として生きる人生はとても楽しそうだ、と思わずにはいられなくなるだろう。