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学術書になじみがない人にも読みやすく、学問の面白さが伝わるような書籍を紹介していきたいです。

基礎科学を「真剣に楽しみ」続けるひとりの研究者の人生 『探求する精神 職業としての基礎科学』大栗博司/2021/幻冬舎

たとえば研究プロジェクトを選ぶのなら、自らの知的好奇心に忠実であれということです。本書第一部で仏教学者の佐々木閑さんとの対談を引用して、「どんなものでも機能が発揮できる時が幸せなのだ」と書きました。研究時間は限られているので、自分の能力がいちばん生かせてしかも意義のある研究を選ばなければならない。 価値ある研究を面白がることができるように自ら好奇心を研ぎ澄ます必要があります。(p.254)

  大栗博司さんの著作を読んだのは『大栗先生超弦理論入門』に続き2冊目である。1冊目は〈超弦理論について少しは知っておかないと死ぬときに後悔するような気がする〉というよくわからない強迫観念に駆られて購入したのだが、物理学に明るくない自分でも文章をしっかり追っていけばやってることはなんとか理解できるほどしっかりわかりやすい著作で非常に感動したことを覚えている。そして「カラビ=ヤウ空間」という言葉を覚えるのに3か月くらいかかった気がする。

 本書の話に進もう。本書は大栗さんのこれまでの人生を振り返ったもので、幼少期の様々な読書遍歴や科学(的思考)との出会いから、研究者を志し、実際に研究者となって様々な場所で研究をすることになるまでを描いた著作である。一流の研究者の方がどのような経歴を経てきたのかという事実は調べればわかることだが、その経歴に至るまでのご本人の迷いや決断の理由、あり得たかもしれない他の可能性についてはこういった形で書かれなければ(そしてそれを読まなければ)わからないままだったと思うので、大変ありがたいことだ。

 偶然にも最近、〈教養〉や〈役に立たない研究〉の話ばかり読んでいたのだが、本書も大栗先生がそのキャリアを通じて考えてきた基礎研究の在り方や重要性について書かれており、その点でも非常に参考になった。特に、外部の方に基礎研究の重要性を説明する際のことについて書かれた次の文章には大学と社会の関係性を考えるうえで非常に重要な点が描かれている。

私が所属するカリフォルニア大学は私立大学なので、財団や篤志家に基礎研究の意義を説明する機会がよくあります。その際に、「このような研究が精神的な豊かさをもたらすのはわかるが、それが人々の生活をどのように改善することになるのかも知りたい」ということをよく聞かれます。後者のような理由の方が、幅広い支援を得やすいという親切なアドバイスなのだと思います。このような時には「好奇心の赴くままに研究をしているのだ」と突き放すのではなく、質問の意図を真摯に受け止めて、基礎科学の価値とその社会的意義について丁寧に説明するようにしています。(p. 310)

ここには基礎研究がある意味では〈役に立たない〉ということについて、過大にも過少にも捉えない大栗先生の姿勢が表れている。〈偉大なイノベーションは基礎研究から生まれるのだから基礎研究は大事だ〉という主張は、そのイノベーションを効率的に起こせないのかというモチベーションで進む選択と集中への直接的な反論にはならない。〈どんな研究がイノベーションに繋がるのかわからないのだからすべての研究を評価すべきだ〉といった主張と〈好奇心の赴くままに研究している〉という主張が組み合わさると、研究者とはなんて身勝手な生き物なのだと誤解されても仕方がないように思う。自分の資産で研究しているならまだしも、現実にはやはり社会の他のセクターに回っていてもおかしくない資産で研究は進められている。どうやって社会の役に立つのかまでは難しいかもしれないが、少なくとも、その研究の行きつく先の夢やロマンをもっと熱く語る義務が研究者にはあると私は思う。

 冒頭の引用の「自分の能力がいちばん生かせてしかも意義のある研究を選ばなければならない」というのは研究に限ったことではないだろう。だが、正直これだけだとよく見かけるいい言葉でしかないように思える。本書の中で私がスゴイなと感じたのは、様々な選択肢がある中で、自分のその時点での能力ややるべきことをしっかり見失わずに、かつ、客観的に確認して選択をしている点である。これがよくわかるのはシカゴ大学助教授に転職した後、すぐに日本へ戻ることを決めた時のことについて述べられている次の箇所だろう。

残念なことに、シカゴ大学への転職は失敗でした。高等研究所では自分の研究だけしていればよかったのですが、シカゴ大学助教授ではそうはいきません。授業や学生の指導のほかにも、研究室の運営や研究資金の確保など、研究以外の業務がたくさんあります。博士号を取ったばかりの二七歳の若さで、英語力も十分ではなかった私には、米国で助教授が務まるだけの準備ができていませんでした。(p. 190)

「すぐに日本に帰らず、もう少しシカゴでやってみようとは思わなかったのか」という質問を受けることがあります。 研究者のキャリアには様々なステージがあり、適切な時期に適切なステージに進む必要があります。シカゴ大学助教授としては、「学生の指導、授業、研究室の運営、研究資金の確保など研究以外の業務」に力を割かねばならず、まだ私はその時期ではないと思いました。研究に集中し、研究者として自らを確立すべき時だったのです。(p. 191)

 大栗先生のキャリアを通じた各々のステージでの体験談は、研究者のみならず、自らの好奇心に突き動かされて生きたい人ならみな大いに参考になるものであると思う。「どんなものでも機能が発揮できる時が幸せなのだ」。私の「機能」はなんだろうな、と頭を捻りながら、この記事を終わろうと思う。次は『数学の言葉で世界を見たら』を読もうかな。『真理の探究』も気になるが...。